読書

 休みの日に特に何もすることがないときは本を読むことにしている。学校の教師だったか、親だったか、はたまたアニメの登場人物だったか覚えていないが、この言葉が脳裏に焼き付いているのだ。

 「本を読め。本は著者の人生の現し身といっても過言ではない。そのため、一度きりの人生だが、本を読むことにより他人の人生を丸儲けできるってわけだ。だから読んでおくべきだ。種類はなんだっていい、小説でも、自伝でも、漫画でも、そしてそこで得た知識は試せ。それが生きた知識となり糧になるからだ。」

 僕はこの言葉が好きだ。それに実際に本を読んでいると、著者のこだわりや物の考え方が伝わってくるのが楽しいと感じられる。個人的な見解であるがこの読書という行為は著者との「対話」ではないだろうか。

 もちろん読書であるため実際に話すわけではないのだが、自らの想いや考えと著者の想いや考えがそこで交錯する。そこで「対話」が生まれるのではないだろうか。想いや考え方が全く違った場合、受け入れるか受け入れないかは読者の自由であるため、選択権も与えられているように思える。そういった意味だとアドバンテージはやはり読者側にあるのではないかと考えた。

 しかしながら、そこで反発せずに筆者の考え方もあるのだなと理解すれば、それはそれで読者の見解が広がるのだ。そして、そこで得た知識を実際に試す。これにより、本当の意味で理解することができる。そして、自分の物へと取り入れることができるわけだ。まさに読書はある種の冒険でもあるように思えるのだ。

 最近では、本は紙媒体としてあるものだけではなく、ネットやまたはノベルゲームなどさまざまな読み物が増えてきた。個人的にはノベルゲームやストーリーを読み進めていくものも一種の読書であって良いのではないだろうかと考えている。 

 名作から新作までさまざまな読み物が出てきている昨今であるが、流石に全ての本を読み尽くすことは物理的に不可能である。しかし、自らが手にとった本についてはしっかりと愛着を持って読書を続けていきたいものである。