喫茶店での聞き耳

 17:00頃、兵庫県の芦屋にある一軒の大人な雰囲気の漂うおしゃれな喫茶店で1人まったりとコーヒーを啜(すす)ってた。初めて入る店だから、どんなもんかなぁと思ってたけどコーヒーは本当に美味しかった。客層はいかにもザマス〜って言ってそうなお金持ちな女性や老人などそんな感じ。店内BGMは上品なクラシック、ショパンやバッハなど有名な作曲者の曲が流れてた。いい感じ。

 金持ちの女性が退店した後、ご老人の団体客(6人くらいか)が入店した。

 みんなお気に入りのカップブレンドを注文してコーヒーが美味いと言っては大声で話していた。僕としては正直、静かにコーヒーを飲みたかったからあんまり騒がしくして欲しくなかったんだけどね。まあでも、そこでいろいろ興味深い話をしていた。

 高齢ってのもあって、話す内容は老後の話だったが中には独身男性もいた。その男性は一度結婚をしたが、うまくいかず離婚して現在独身となっているようだ。大変そうだなぁと思った。団体客からこんな会話が聞こえた。

女性客「あんたぁ、はよ結婚しぃや?この先しんどいんちゃう?」

独り身「そやなぁ、でも結婚は懲り懲りやねん、おれ学んでん。」

女性客「ん?どないしてん」

独り身「いやぁ、結婚相手の女選びで失敗したらあかんな。女は顔で選ぶな、心で選べ」

僕(かっけぇええええ!?)

 なんだろう、長年生きた人がそういうのだからきっと間違いないのかもしれない。

 見た目で選ぶっていうのは所詮最初だけが楽しくて、長く付き合うなら無理しなくても楽しく過ごせるそんなパートナー選びをしろってことなんだろうなぁ。勉強になるなぁ。っと聞き耳を立てずにはいられなかった。

 なるほどな、こういうところでこんな話を聞けるなんて思わなかった。確かに、恋愛と結婚は違うしな。っと心の中でめちゃくちゃ頷きながら目は合わせず、ぼくは残り少なくなったコーヒーカップの中を覗いてた。喫茶店ってこういうところあるから意外と好きだったりする。まあ本当は静かに飲みたかったけどな(二回目)。でも、そんな意味でもアンテナを張るってやっぱり大事かもしれない。

 ぼくは人の話を聞くのが割と好きな方だと思ってる。それが自分の知らない世界の話だったりするとめちゃくちゃテンションが上がるし、学べるところがあるかもしれないって貪欲になりがちだったりする。話が横道にそれてももっと聞かせろ!って思いがちだったりもする。パートナーか・・・・アレだね、ぼくの知らない世界をたくさん知ってる人とかいいよなぁって思いました。

 そうそう、喫茶店なんだけど、芦屋珈琲舎って店名ね。

 よかったら、是非一度行ってみては?

 

やっぱ、モテたいですよね!

(今回のテーマでは言葉を崩して書きます、ご容赦くださいませ。)

 最近いろいろ考えるんだ。モテるってなんだろうって?

同性、まあ男友達は多い方ではあるんだけれども、女性からの支持、ズバリ異性からはモテないんです。彼女いない歴既に4年目に突入した。

 そもそもアプローチが下手クソなんだってのは学生の頃から理解はしている。一目惚れとか、自分から好きになるということがなんというかよく分からないんです。もしかすると、純粋に自信がないから自ら告白とかするのができないからそれを言い訳にしているのかもしれない、自分のことながらあまりよくわかってません。

 学生のころはなんとなく周りに女性がいたから、学生生活を送っていればそんなことにも恵まれたのだけれども、社会人となってからはそんな機会はなくなった。そして、コンパへ行ったりしたが、結果を得られずに「行って損したな・・・」って金払ってとりあえず、line交換して終わるのだ。なぜ上手くいかないのか?

 当時はうまくいきませんでしたとそれで終わるから進歩がなかったわけだし、今回はそれについて考えてみよう。

 そこで、まずは女性が最近の男性に求めるもの!!みたいなものSNSで見かけることが多いのだが、その中でこれはよく目にするものをピックアップしてみた。

 ・髪型(美容室できちんと切っているか)

 ・眉毛(しっかりと整えているか)

 ・匂い(香水とかしていたか)

 ・肌(肌荒れしてないか)

 ・服装(それなりの服買い揃えていたか)

 ・トーク(しっかりと相手の話を聞けていたか)

 うーん。そもそも、コンパでその辺きちんとしていたかどうかすら覚えてない。してないかもしれないですね。それに並べるだけだと結構辛辣だな。ポジティブに受け止め且つモチベが上がるために推しメンが言ってるものと仮定してみよう。

 

 りなさーん「普段の無造作ヘアもいいけれど、今日はこれ!みたいなそんなキメた感じのあさいを見てみたい!」 

・・・・お?

 北野ももこ「りょーすけさ、顔は普通だし、あと整えるとこ整えたら女の子次第できっと声かかるよ」

・・・・おお?

 ゆうら「私たちのライブで一生懸命汗流してさ、その必死さいいと思うけど、香水で大人の香りを漂わせてみたらどう?」

・・・・だめだ、きっとこの子はこれは言わんな

白石友梨「最近あさくん肌荒れてるね、大丈夫?友梨は横顔見るの好きだから、綺麗な横顔が見たいな」

・・・・これや、、

 みおり「じゅじゅT来てくれてると嬉しくなるけど、おニューの服きたりょうちゃん素敵だよね!」

・・・・モチベ上がってきた 

 橋本琴春「あさいくんの面白いお話もっと聞きたいし、私の話もたくさん聞いて欲しい!!」

・・・・うん!!!!

 よし、かなりモチベが上がりました。()

 要は捉え方だな、前向きに受け取るといいアドバイスになりますね。

 ここで思ったのだが、俺たちにとってモテるって言葉の表現は本当に正しいのかな。

それって、いろんなことを努力して、積み上げて結果モテたってことじゃないのかなってこと。

そりゃあ、元々顔がよく、女性のニーズに答えられてて、何歳になってもモテる人っているとは思うけど、そんなのはごく一部だし、俺たちのような一般的な人はやっぱモテるための努力をしなきゃダメなのでは。それに相手の人の気持ちを動かすにはまず自分がそれなりの努力をしないといけないってことかもです。女性も肌のケアとかいろいろ努力してるし、男性もやっぱ努力しないとそういう意味ではきっと対等じゃない気がしてきた。

 そっか、そう考えると、女性が求める男性像になれていないってことは恋愛する以前の話で、そもそもスタートラインにすら立てていなかったのかもしれないですね。

 

 まずは、自分を変えなきゃ。

 よし、とりあえずランニングしてみっともなかった体を引き締めて、髪切って、服買って、眉毛整えて、トークスキル磨いてってやることが多いな。そういうのを楽しまないといけないのかもしれないですね。頑張ります。

 今日の時点で1週間ランニングを毎日走ってるんですけど、お腹周りが1回り小さくなりました。いい感じです。

 

ちょっとびっくり、まあびっくり。

 長すぎた連休を終えた後の出勤はありえなく体に響くものだ。

 元号が平成から令和へと変ったことが影響し、今年のGWは10連休となっていたために、本日の業務がやけにきつく感じた1日であった。

 6時前には退社し、僕は会社の近くにある顔なじみのカレー屋で早めの夕食を取っていた。そのカレー屋はカウンター席のみとなっており、カウンター内には50代くらいの女性が経営している店であり、夜はバーにもなり近隣の企業や役所で勤める客層で賑わうのだ。

 しかしながら、時刻が早いため客はまだ僕一人のみであった。カレーをすする僕に対して店長が声をかける。

「肩の調子は良さそうだね! GW何してたの?」

 僕は肩をすくめて答えた。

「何もしてねっす。いやぁ、金がねえし、結構マジで貯金してんすよ。」

 それを聞いた店長は笑みを浮かべながら僕に答えた。

「いやでも、あんたみたいな若い子が遊ばないと将来遊べなくなるよ?まあ、貯金もいいんだけど、早くいい子見つけなさいよ。」

 僕は少しげんなりしながら答えた。

「わかってるよ。でも、いつ何が起きるかわからねえんだ。だから今は貯めたいの!また入院とかしたら嫌じゃん。」

 そんな風に会話が盛り上がったところでふと僕の携帯が鳴った。

「もしもし?兄ちゃん元気?」

 電話相手は弟からだった。弟は去年結婚をし、現在は九州の方で生活をしている。相手の女性はミャンマー出身だったと思う。弟とは普段から電話をするため、このように弟から電話が鳴るのは特段珍しいものでもない。

僕「おうよ!まあぼちぼちやってるよ。まあ、最近は貯金で必死なんだよ。」

弟「あー、大変だよね。なぁに?アイドルは行ってないの?」

僕「ライブ行く回数は減ったかなぁ。まあ、それよりも貯金だな。」

弟「そうなんだ!そういえば、俺今度嫁の祖国に行くんだ。盛大に結婚パーティ開くんだけどね。相手の親も当然呼ぶし、一流のホテルでやる予定!でもすっげえ値段が高いんだ。」

僕「そりゃそうだろうなぁ、まあでもそこはしっかりしてやんねえとな。でも、ミャンマーだと物価は安いんじゃね?」

弟「でも、まあ会場がすごいところだから値段は高いよ・・・」

僕「そっか、まあまた盆休みに帰省したときにでもお祝い金渡すから。タイミングなかなか合わなくて悪いな。」

弟「ありがと!そういえば兄ちゃんおじさんになるんだよね。」

 急に弟が訳のわからないことを言い出した。

僕「え?オジサンニナルトハ?」

弟「言葉のまんまの意味だよ。兄ちゃんはおじさん、母さんはばあちゃんに。」

僕「ボクガオジサン、カアサンがバアチャン?だめだ、ちょっとわからない。」

 頭の悪いやり取りが続きようやく理解できた頃には、カレー屋の店長が僕の前で盛大に笑っていた。

僕「オメデタ?」

弟「そうなんだよ!嫁ね、年内には出産予定!」

僕「オレ、オジサン。年内、こどもウマレル!オメデトウ!」

 動揺が隠しきれずカタコトになっていた。

僕「ちょっとこれ、後からくる奴だわ。でも、あれだ、超めでてえな!!母さんがばあちゃん、父さんがじいちゃん!おれがおじさん!おじさん!!!!」

 いつまでも、どうしようもなく、頭の悪い反応を示す僕であった。

 弟の話ではまだ6週間だということであり、出産時期はもしかすると年を跨ぐ可能性があるということだ。しかしながら、令和ベイビーが生まれることには変わりはない。

 そうか、僕はおじさんになるのか。絶対可愛い子が生まれるだろうなと思う。可愛くないわけがないと思っている。今年の年末の楽しみがひとつ増えたのであった。

 これからさらに貯金しないとなと、僕は改めて決意を固めたのだった。

読書

 休みの日に特に何もすることがないときは本を読むことにしている。学校の教師だったか、親だったか、はたまたアニメの登場人物だったか覚えていないが、この言葉が脳裏に焼き付いているのだ。

 「本を読め。本は著者の人生の現し身といっても過言ではない。そのため、一度きりの人生だが、本を読むことにより他人の人生を丸儲けできるってわけだ。だから読んでおくべきだ。種類はなんだっていい、小説でも、自伝でも、漫画でも、そしてそこで得た知識は試せ。それが生きた知識となり糧になるからだ。」

 僕はこの言葉が好きだ。それに実際に本を読んでいると、著者のこだわりや物の考え方が伝わってくるのが楽しいと感じられる。個人的な見解であるがこの読書という行為は著者との「対話」ではないだろうか。

 もちろん読書であるため実際に話すわけではないのだが、自らの想いや考えと著者の想いや考えがそこで交錯する。そこで「対話」が生まれるのではないだろうか。想いや考え方が全く違った場合、受け入れるか受け入れないかは読者の自由であるため、選択権も与えられているように思える。そういった意味だとアドバンテージはやはり読者側にあるのではないかと考えた。

 しかしながら、そこで反発せずに筆者の考え方もあるのだなと理解すれば、それはそれで読者の見解が広がるのだ。そして、そこで得た知識を実際に試す。これにより、本当の意味で理解することができる。そして、自分の物へと取り入れることができるわけだ。まさに読書はある種の冒険でもあるように思えるのだ。

 最近では、本は紙媒体としてあるものだけではなく、ネットやまたはノベルゲームなどさまざまな読み物が増えてきた。個人的にはノベルゲームやストーリーを読み進めていくものも一種の読書であって良いのではないだろうかと考えている。 

 名作から新作までさまざまな読み物が出てきている昨今であるが、流石に全ての本を読み尽くすことは物理的に不可能である。しかし、自らが手にとった本についてはしっかりと愛着を持って読書を続けていきたいものである。

 

 

おすすめ

 僕は誰かを食事に誘うとき、まずは相手のことを考えて店選びを行っている。

 個人的に隠れた名店のようなパッとしない店が好きなため、ネットの情報などでは店を選ばない。どちらかというと自分でその店を訪ねてから選ぶようにしている。そのため、初見で人に勧めるようなリスキーな真似はしない。

 また、人によってはにんにくが強めの店でも逆ににんにくが好きな人もいるわけであって、その子に合うかどうかってのは一種の賭けみたいなものもある。

 まあ、自分が食べたいものでも良いのだろうが、折角だから、互いにいい気分で美味しいものを共有できるならば、自分が食べたいものというよりも相手の食べたいものを選びたいし、それがもしその通りであれば、こちらとしては満足である。

 まあ、そんなことを考えながら店を検討し、絞りさらに相手に選択権を与えるのが僕のいつもの誘い方なんだが、最近では少し悩ましいなと思うことがある。

 最近ではネットが普及しているため、食べログのレビューにより店の評価を見ることができる。

 例えばこのような出来事はないだろか?

 

 あるとき、男は女の子を食事に誘おうと思い、電話で連絡を行った。

「おすすめの店があるんだ、今度一緒に食べに行かない?」

 もちろんこのタイミングでは、誘う店も決まっていた。

「え、いいよ!なになに!?どこにいくの?」

 相手も興味津々である。

「最近出来た店なんだけど、その店のラザニアが美味しいんだ!しかもワインも美味しいの置いてるし、バルみたいな感じでさ。この前ふらっと行ってみたんだけど、すっごく良かったんだ!よかったらどうかなって思ってね」

 と得意げに女の子に店を紹介した。

「そうなんだ!へえー、なんて店?」

「○○駅から徒歩5分くらいにある××ってとこ」

 と、店の名前を問われたため、答えたところ

「えー、何この店?食べログ✩2.5じゃん!絶対美味しくないよ!!」

 と女の子は不機嫌そうに答えた。

 このような会話を繰り広げたことはないだろうか。

 僕個人的な話ではあるのだが、あくまでも食べログは料理のプロ、その道のソムリエが評価したわけでもなく、ただの一般人がレビューしているだけであり、その総評価として✩が付くわけである。ここでのポイントは、男は相手のことを”洋食が好き””お酒が好き””バルのような雰囲気が好き”というところまで入念に把握したうえで、実際に店に通い、選び勧めたわけだがこれではあまりにも男が報われないのではないだろうか。

 当然ながら、店を選ぶ上での評価を気にするのは別に悪くはない。昨今ではインターネット情報はかなり充実しているからだ。だが、その発言はその男に対してせず、こっそりと見ておけばいいのではないだろうか。誰が書いたかのかも分からないような評価を鵜呑みにするよりか、実際に女の子のために入念に下調べした男の話をまずは聞いてあげるべきではないのだろうかと僕はこの出来事について考えた。

 逆の立場になればよくわかるはずである。

 例えば、映画や音楽を勧めたところでネットの評価やCD、DVDの売れ行きを見て、その進めてきたことに対してケチを付けられたらたまったものではないのではないか?

 本当に良いものとは必ずしも目に見えるものだけが全てではないということをよく理解すべきではないではないだろうか。

 目に見えない隠れたものを見つける喜びを互いに共有するというものはとても良いものであることを僕は改めて知ってほしいと思う。

 

バレーボール

 僕は中学生の頃、バレーボール部に所属していた。入部前、部員は3名しかおらず、試合にすら出場できていなかった。入部した1年生は全員バレーボールの経験がなく素人同然のチームだった。元々いた3年生、2年生は試合経験すら少なかった。

 最初はレシーブするのもぎこちなく、手が腫れながらも練習した。足の皮も向けながら、すり足をした。姿勢になれ、スパイク(アタック)が形になってくると、自身が付いたのか、普通に試合で勝てるんじゃないかって思い上がっていた。

 だが、そんな僕も思い上がりもすぐに現実に落とされることとなった。

 初の中体練の日、地区大会にて。

 相手チームの上手さに驚いた。僕たちは中学からバレーを始めたのだったが、他のチームは小学校からジュニアのチームに所属していたようで、僕たちとは明らかに実力が違った。

 デビュー戦は完敗だった。勝てるはずがなかった。

 そこで相手チームで強烈に強かったチームが印象に残った。舞台ハイキューで白鳥沢高校でスーパーエース牛島役を演じる有田賢史の所属する中学だった。中学の頃から身長が大きかったため、3年生だろうと思っていた。しかし、実は同学年だったようで僕たちのチームは1勝もすることができなかった。

 

 僕たちは中学の公式戦で一勝もすることができず、敗北の辛さを経験した。しかし、その悔しさが僕の意識を変えつつあった。

 もう、これ以上負けたくない、次は絶対勝ちたい。そんな気持ちが根付くようになった。それから、ずっと走り込みを続け、自主練をこなした。

 地区でもそれなりにバレーが強い高校に進学した。他のチームメイトは明らかに僕のチームよりも格上だった。

 だが、僕は他のチームメイトにないものを持っていた。体力とジャンプ力が以上にあったのだ。レシーブやトスの技術は他のチームメイトに圧倒的に劣っていたがそれだけは誰にも負けなかったため、レギュラーを取ることができたのだ。

 そして、高校の公式戦で初めて勝つことができた。それから、県大会に勝ち進むこともできた。

 弱小校出身でも努力すれば案外なんとかなるもんだということがよくわかった経験だった。

 いつか、中学の頃戦ったチームともう一度対戦する機会があればいいなと心から思う。

節分

 各家庭によってそれぞれのやり方があると思う。恵方巻きを食べたり、父親が鬼役をして子供たちが豆を投げつけるようなものがポピュラーだと思う。

 

 

 

 我が実家は一味違った。

 

 母親が事前にティッシュペーパーに現金を包んで床に巻くのだ。

 そして、ティッシュペーパーを広げると、中には1円玉や、5円玉、10円玉、100円玉、500円玉、あろうことか千円札といった風にバラエティに富んでいた。

 僕たちは当時の年齢は小学生だったため、正月後の良い臨時収入となる。普段から仲のよかった僕と弟はその日だけは取り合いになった。まさに大乱闘スマッシュブラザーズだ。

 現金をまく母親、床に落ちる音で聞き分け、より高い硬貨または札を狙う兄弟。

節分は僕の実家では本当に楽しみなものだった。

 豆をまかずに金を巻く、今思えば変わった風習だったと思う。